[対「北」決議]「単なる非難に終わらせるな」

米国によるイラク侵略が始まる以前に「米軍による攻撃が始まったらどうするのか?」という質問に対してイラク市民が「どうしようもない.家でじっとしているだけだ」と答えていたのを思い出す.
「ミサイルが飛んできたらどうするのか?」という問いを立て--今の日本でこのように問いを立てれば,答えは自ずから決まってくる--,それに対して法整備や軍事上の対抗策をあれこれ考えている市民が多い国は,気づいた時には先に攻撃を仕掛けた国になっているのだと思う.
在日米軍のトマホークが飛んできたらどうするのか?」
北朝鮮の市民はこの問いに何と答えるのだろう.

 定年うつ:会社人間ほど危険です 心の準備し、社会的な役割みつけよう

定年退職をきっかけに、うつ症状が出る「定年うつ」が注目されている。仕事以外に楽しみの少ない「会社人間」だった人がなりやすく、最悪の場合、自殺に至ることもある。「定年うつ」をどのように防ぎ、・・・
仕事以外に楽しみを持つ時間もないほど長時間働かされる「会社人間」をつくらなければいいと思う.
たとえば,戦争で空から落とされる爆弾によって人が大勢死ぬのを防ぐためには,戦争を止めさせるしかない.その時に,戦争それ自体については一言も語らず,「爆弾に当たらないようにするためにはこうしろ,ああしろ」と説く人を,わたしは戦争に加担する人とみなす.
これと同じように,「会社人間」を作り出す長時間労働については一言も触れることなく,「うつ病にならないためにはこうしろ,ああしろ」と説く医学(医師)は,その原因を隠蔽することに加担している.
原因を隠蔽するだけではない.
防ぐための方策を個人の行動に求めることは,防げなかった場合の責任をその個人に負わすことにつながる.つまり,「仕事以外に楽しみを持てずに会社人間になったおまえ」,「定年前から心の準備ができなかったおまえ」,「人間関係を作れなかったおまえ」,そして「自分が存在する社会的な役割を持てなかったおまえが悪いのだ」と.

 変形性膝関節症、50歳以上女性4分の3発症 東大調査

要するに老化現象である.
だいたい,長い間使っていて「すり減」らなかったら,そちらのほうが不思議だ.
老化はヒトの体のあらゆる部分に起こるだろうから,若いヒトと比較して違っているところを片っ端から「ナントカ症」と名前をつけていけばいくらでも病気は発明--医学の言葉でいえば「発見」--できる.
いっそのこと「老化は病気である」と言ってしまえばいいのに.

 ザルカウィ幹部を殺害 米イラク合同空爆で

スキャンダル発覚の後には,お決まりのビッグニュース.
イラクアルカイダ機構」というネット上にサイトを開設しているだけの「組織」が同じ日に死亡を認め,「聖戦を続ける」という声明のおまけつき.誰が動かしている「組織」なのか,いや誰が管理しているサイトなのか,世界中に言っているようなもの.
次に「殺される」大物は誰だ?適当な人物が見当たらなければ,これから大物に育てればいい.それとも,アブグレイブにおける拷問スキャンダル発覚後に「イスラム過激派」によって「殺された」ニック・バーグのように,無名の人物を残酷な方法で殺し,映像を公開するか?
ザルカウィ「殺害」は確かに茶番劇ではある.けれども,ザルカウィという「大物」を「殺害」するほどの「戦果」をあげる必要にホワイトハウスが追い詰められているということ,これだけは忘れないようにしよう.

 社説:党首討論 かみ合う論戦が期待できる

「かみ合う」議論は退屈である.
わたしたちが何かを主張する時には,意識せずにさまざまなことを前提としている.もちろん,意識している部分もあるかもしれないが,自分で気づかないうちに当たり前のこととして,前提にしている事柄がある.
この前提を議論の対象にすると,話が少しも「前に」進まなくなってしまう.「前に」進まないどころか,前提のそのまた前提という形で議論がどんどん深いところに行ってしまい,議論が最初に問題としていたところから遠く離れてしまうということも起こる.
「かみ合った」議論というのは,前提を共有した者同士の間でしか成り立たない.これは,政治の世界だけの話ではない.学問についても言えることである.
たとえば,「病気」をめぐって,それが客観的に存在していると考える(というよりは,自明視している)医学と「病気」なるものは主観的構築物だと考える「健康と病の社会学」の間で「かみ合った」議論が成立するはずもない.そして,医学が「そもそも病とは何か?」を問題にするようになれば,医学の「進歩」はない.
それぞれが前提とする事柄の共有の度合いが高まれば高まるほど,議論はクイズを解くようなものになっていく.その証拠に自民党と民主党の教育基本法「改正」案は,「まちがい探し」の様相を呈している.どちらが自分の所属している党の案なのか,間違える議員がいてもおかしくない.
前提を問うことは議論が「前に」進まずに,より深いところに「後退」していくことになるけれど,教育基本法にしろ共謀罪にしろ,その「改正」や創設が「前に」進むことにはならないと考えるわたしにとっては,前提を共有した者同士の議論は,議論というよりはクイズを解いているようで退屈である.そして,「医学の「進歩」がさまざまな「病気」を減らしてきた」という主張を神話だと考えるわたしにとっては,医学の「進歩」についても同じことが言える(こうした神話についてはたとえば佐藤純一「人間ドック」(isbn:4790706915),同「抗生物質という神話」(isbn:4790708632)を見よ).
自明のものとしている前提を問うこと,あるいは暴露すること,そこに議論の面白さがある.だから,クイズ解きやまちがい探しよりは,互いの前提を問う「かみ合わない」議論の方にわたしは興奮する.

 30日の「自由と生存のメーデー06」弾圧と共謀罪

「普通の市民」という言い方は「普通でない(異常な)市民」の存在を前提としている.
この世から女性が消えたら,男性だけの社会になるのではなく「男性」も消滅する.なぜなら,そこでは男女という区別が意味をなさなくなるからだ.同じように,ヤクザが消滅すれば非ヤクザとしての「普通の市民」は消滅する.オウム信者が消えたら非オウムとしての「普通の市民」は消滅する.そして,デモを組織する人や参加する人がいなくなれば,非デモとしての「普通の市民」は消滅する.
「異常な市民」としてわたしの頭に浮かぶのは,誰にマイクを向けても同じ答えしか返ってこない国の市民である.そうした国では,異議を唱える「異常な市民」は刑務所に入れられ,市民としての資格を剥奪されているのだろう.残ったのは,誰も彼もが同じ答えしか返さない異常な「普通の市民」である.
「異常な市民」を社会から追放し続ければ,その先に待っているのは「普通の市民」だけからなる社会ではない.「異常な市民」の消滅は同時に「普通の市民」の消滅であり,残されたのはマイクを向ければ同じ答えしか返さない「異常な市民」である.
純度が100パーセントになった時,ある国が「普通の市民」だけから構成されるようになった時,「普通の市民」は「異常な市民」に転化する.
共謀罪は「普通の市民」の純度を高める仕掛けである.だから,「異常な市民」として生きたい人はもちろんのこと,「普通の市民」として生活したい人にとっても,この法案は廃案にするしかない.

 闘論:禁煙指導への保険適用 佐藤誠記氏/富永祐民氏

喫煙によって必要以上にかかる超過医療費も、約1兆3000億円に達しているとの研究がある。
数字はどうでもよい.おそらく,「スポーツ・イベントの経済効果」と同じくらいの「正確さ」はもっているだろう.
「必要以上にかかる医療費」という言い方は,医療費には「必要な」分とそれを超えた,「必要以上」のムダな医療費があるということを意味している.ここで言われている「必要以上にかかる超過医療費」とは何かといえば,「ある行為をやめることによって,発生を抑えることのできる医療費」のことである.そして,それは必要でないがゆえに抑えるべきものである,と.
この議論は喫煙以外にも,簡単に応用できそうだ.
出生前診断によって,生まれてきた後に「ふつうの人」よりも医療費がかかることがわかっていても出産した親に向かって,「あなたが中絶していれば(産むのをやめていれば),この子に必要以上の医療費がかかることもなかったのですよ」というのも,ひとつの応用だろう.安楽死尊厳死)が法制化されれば,「あなたが早く死を決意すれば(生きるのをやめれば),医療費は必要以上にかかりません」という応用もできる.
「必要/不必要な医療費」という言い方は,「必要な(生きるに値する)/不必要な(生きるに値しない)命」という区別の一歩手前まで来ている.もっとも,反喫煙の立場に立つ人間がそこまで来ていることに,驚きはしないけれど.