グアンタナモ――ここにも法の支配を


確かに、9・11とその後の対テロ戦争を、国際法がこれまで想定してきた戦争と同じ尺度で語るには無理がある。国家間の戦争とは言いがたいし、緩やかなネットワークでつながるアルカイダの組織は、旧来の軍隊とは違ってとらえどころがない。
ブッシュ政権が「新しい敵には新しい発想で対応する」と唱えることには、それなりの理由がある。

ひっくり返ってる.
先制攻撃も辞さないという「新しい発想」--決して新しくはないが--に「対応」して「発明」された,あるいは捏造された「新しい敵」が「アルカイダ」である.「とらえどころがな」く,どれだけ攻撃してもけっして消滅することはないという点ではお化けのようなものである.したがって,お化けがいなくなるのは,攻撃する側が「お化けなんていない」と自覚する時だ.
アルカイダ」は確かに存在する.ただしそれは,たとえば「アンチ巨人」が日本に存在するのと同じ意味で.
アンチ巨人」は日本中いたるところにいるだろう.そして「アンチ巨人」の友だち同士で,メールでやりとりしたり,いっしょにごはんを食べたり,花火を見に行ったり,あるいは甲子園に行ったりするだろう.これは,確かに「緩やかなネットワーク」である.しかし,「アンチ巨人」なる統一された組織が日本にあると思うひとはいない.
アルカイダ」は世界中いたるところに出没する.それは反米武装闘争--ホワイトハウスがやってきたことに対する復讐--を行う人たちが世界中どこにでもいるのだから,当然だ.
そして「アルカイダ」とは,そうした人たちにホワイトハウスがつけた名前である.
事務所もウェッブサイトも掲示板もメーリングリストも会費も会議も規約も方針案も機関紙も会計報告もなく,メンバーの顔も互いに知らず,およそ「組織」と呼ばれるものがそなえている特徴をなにひとつとして持たない「組織」.あるのはホワイトハウスが掲げた看板だけという奇妙な「組織」.
「テロ組織なんだから,そんなものあるわけないだろ」という声も聞こえてきそうである.よろしい,それなら新しい友だちができた時には,「新しい組織に入った」と言ってもらいたい.仲良しグループで事務所を持ったり,規約や方針を決めたりすることはないだろうが,携帯で連絡をとりあったり,行動を共にすることはあるだろう.それは,まさに「アルカイダ」の「組織」のあり方と一緒だ.
要するに,「アルカイダはふつうの組織と違う」という言い方は,「アルカイダは組織ではない」を言い換えたものでしかない.この論法でいけば,人を乗せて空を飛んでいる物体を指して,「あれは線路の上を走ってないから,ふつうの電車ではない」,「これはあんこが入っているから,ふつうのシュークリームではない」という言い方も可能である.
こうして見れば,「アルカイダとつながりのある」というおなじみのフレーズの意味もよくわかる.
アンチ巨人のAさんとBさんは学校の友だちで,BさんとCさんはバイト仲間で,・・・KさんはLくんの友だちのお父さんで,・・・YさんとZさんは同じ「アンチ巨人」が話題の掲示板に書き込んでいる」という具合にして,AさんとZさんの間には「つながりがある」.ただし,AさんとZさんは会ったこともないし,メールのやり取りをしたこともない.
「組織」としての「アルカイダ」はいつかは「消滅」する.ただし,それは「対テロ戦争」の遂行によってではなく,そんなものはないと気づき,ホワイトハウスに看板を外させることによってである.逆に「対テロ戦争」という名の侵略戦争を進めれば進めるほど,反米武装闘争を行う人としての「アルカイダ」は世界中にますます増殖し,それは,この社説に見られるように「アルカイダ」なる組織があるという錯覚を広げ,「対テロ戦争」の支持者の増加につながる.こうして「対テロ戦争」は自己増殖していく.それは同時に一部の人間にとってカネの増殖でもある.
21世紀最初の,歴史に記録されるであろう「発明品」である「アルカイダ」.それは,地球上で多くの人命を奪い,家を破壊し,悲しみをもたらす一方で,ごくわずかの人にだけ「恩恵」をもたらした.