The Evil of Cluster Bombs


クラスター爆弾の罪悪

Helen Williams
2004年8月17日


Shu'aib Abdul Jabar, 36, holding his vigil.


昨日,シェラトンパレスチナホテル複合施設にあるパレスチナホテルのわきを歩いていると,わたしはハンガーストライキをしているひとりの男を見つけた.彼は粗末な木の板に白い文字で「断食」とアラビア語で書き,小さな写真アルバムをとめたもの地面に座っていた.彼の抗議はイラク政府に向けられていた.「わたしはイラクから輸出される石油の1秒分だけ,イラク政府がわたしの家族に払って欲しい」と彼は言った.36歳のShu'aib Abdul Jabarはパレスチナホテルのすぐ外でハンガーストライキをしていたが,警察と米兵によってこの場所から移動させられた.

兵士は彼に向かって「ここは人々が滞在する場所で,ハンガーストライキをする場所ではない.どこかほかへ行け」と言った.そういうわけで,彼はここ,ホテルから少し離れた,ただし複合施設の中にいたのだった.彼は今日,ハンガーストライキを始め,イラク政府が彼に回答するまでは水だけを飲むつもりだ.
なぜかれはハンガーストライキをしているのか.Shu'aibバグダッドの郊外,Sha'abに妻と4人の子どもと一緒に住んでいる.彼はフセインを憎んでいたが,戦争も,侵略も,そして占領も歓迎しなかった.彼は合州国と占領軍を「クズ」を意味するアラビア語で呼び,どれほど彼がアメリカに打ちのめされた彼の国から出て行ってほしいと思っているか,わたしに語った.彼と彼の家族は戦争の間中Sha'abに留まっており,そしてありがたいことに肉体的には問題はなかった.

しかしながら,子どもたちは爆撃によってひどく怯えていた.家族が住む家から200メートル離れたところには住宅地に囲まれたイラク軍の基地があった.戦争中,米軍はこの場所で徹底的にクラスター爆弾を投下した.なぜなら,基地があったからだ.その周りには民家があることなど,ほとんどあるいは全く気にかけることなく.

戦争後,イラク当局と警察は米軍と一緒になって,クラスター爆弾の除去を行った.理由は,米軍がイラク軍の基地を自分たちの基地として使いたかったからだ.こうして2003年8月に米軍がここを離れるまでは,除去作業を行っていた.その後,地域の子どもたちは,そこで遊ぶようになり,彼らが見つけたおもしろいものを集めたり,家に持ち帰ったりしていた.Shu'aibの9歳になる息子Mustafaと7歳のAliは,2003年8月8日に基地で遊んでいた.

クラスター爆弾の不発弾は除去されたはずだったが,ひとつが残っていた.Mustafa はそれを見つけ,拾い上げた.彼がそれを手に取った瞬間,彼の手の中で爆発した.かわいそうなMustafa は両手の6本の指と,左目を失った.そばにいたAliも怪我をしたが,どういうわけか重傷ではなかった.Shu'aibと妻は爆発の音を聞き,現場に駆けつけた.夫婦がそこで見たのは,苦しみもだえ,立ち上がろうとする息子の姿だった.すぐにAdnan 病院に2人を連れて行った.Mustafa は手術中4本の輸血を必要とした.彼はこの事故からそれだけの血を失ったということだ.


Mustafa, 9, in the German Hospital


手術費用は2000ドルかかった.戦争前,Shu'aibは塗装工などをしており,幸運にも貯金することができた.しかし,今や彼には仕事がなく,まったく貯金がない.手術後,Mustafaはさらなる治療とリハビリのためにドイツのNGOによって,ドイツのHammの病院に転院した.

Mustafa はドイツで10ヶ月をすごしたが,この間家族は彼をさみしく思い,電話で連絡を取り合っていた.彼らは息子が「幸運なケース」のひとつであることがわかった.外国に行き,受けることのできる最良の治療を受けられたのだ.Mustafaの母親は愛する息子に起こった出来事,彼をさみしく思う気持ち,彼への心配の--Mustafaはひとりっきりでドイツにいた--ために病気になってしまった.

Shu'aibは彼の息子と旅行に行くことすら許されなかった.「もしわたしがそこに行ったら,決して戻ってこなかっただろう」とわたしに話した.母親は今では回復し,Mustafa も肉体的にはよくなった.指の切断跡は良くなった.しかし,Mustafaの心の内にはひどい傷を残した.事故前,Mustafa は学校に行き,うまくやれていた.勉強を楽しみ,コンピューターゲームが好きだった.

今やMustafa は学校に行くことも,コンピューターゲームで遊ぶこともできすに,怒りっぽく,暴力的になってしまった.以前は,彼の兄弟姉妹と同じように,静かな行儀のいい子どもだったのに.兄弟姉妹は今でもいつもどおり学校に行っているが,Mustafa は学校に行くこともなく家におり,彼ができる遊びをしている.

Shu'aibは息子のけがと貯金から出した手術にかかった費用についてなんの補償も受けていない.彼は手術の1ヵ月後に苦情を言った.Sha'abの警察署は自殺車爆弾で吹き飛ばされ,彼が提出した書類は爆発と火事で失われてしまった.わたしは彼に今のイラクについてどう思うか,聞いてみた.「選挙後,神の思し召しのままに(Insha'allah),イラクはよくなるでしょう.しかし,今の政府にはなんの希望もありません」と答えた.

「わたしはいつでも爆弾について心配しています.安全はありません.水も電気もありません.2時間電気が使えたとおもったら,次の4時間は停電という状況です.いったいわたしたちに何ができるのでしょう?」彼はこうしたことを訴えるためにパレスチナホテルにやってきた.ジャーナリストはハンストについて質問していた.彼はただ,人々と政府に彼のメッセージを受け止めて欲しいだけなのだ.「兵士は気にもかけないし,政府も同じだ」,と彼は言った.彼の簡単なメッセージは,Mustafaの写真が含まれているアルバムの中の小さな紙切れに英語で書かれている.「平和的なやり方にイエス.侵略ノー,テロノー」.

われわれは皆クラスター爆弾(あるいはその種のすべての爆弾)が悪いと知っている.われわれは皆,アメリカとイギリスがクラスター爆弾を撒き散らした跡,ほとんどその場所での除去を行わないことを知っている.米兵が除去したのは,自分たち自身がそこを使うためでしかない.イラク人の安全と幸福のためではない(もし彼らがイラク人のことを思うのなら,クラスター爆弾を使うはずがない).しかし,これが示していることは,徹底的に除去された場合ですら,そして安全だと信じられている場合ですら,そうではないかもしれない,ということだ.Mustafa が犠牲を被ったように,そこでは発見されていないクラスター爆弾がひとつでも残っているかもしれない.使用をやめさせなければならない,そして平和活動家としてのわれわれは,やめさせるためにもっと行動しなければならない.

わたしはShu'aibの小さなアルバムから,次の日に返すと固く約束してMustafa の写真を借りた.スキャンしたこの写真をあなたに送ります.次の日,写真を返すためにシェラトンパレスチナホテル複合施設に戻ると,彼はそこにはいなかった.わたしは彼の居場所について尋ねた, Shu'aibは複合施設の中にいることも許されなくなり,米兵は彼に「ここはハンストの場所ではない」と言ったそうだ.「その通り.ここは,イラクで儲ける場所だ」とわたしは米兵に言った.


Helen Williams はバクダッド在住.South WalesのNewport出身.