The mystery of the Russia hostage-takers


ロシア人質犯のナゾ


AFP 2004年9月5日


モスクワ:名前,国籍あるいは民族的出自は示唆されているものの,ロシア連邦南部で1000人の子ども,両親,そして教師を人質にとった民兵に関する重大な質問には答えられていないままである.彼ら/彼女らは誰だったのか?

これまでのところ,新学期のために集まった家族がいる朝の学校に集結した重武装の30人を超える民兵のありえる身元と要求についての興味をそそる詳細だけが公表されている.

ロシアのテレビは,治安部隊との最悪の銃撃戦で殺された人質犯の死体を映すことにはしり込みしていない.長い黒いあごひげ,たくさんのリング,青白い腕,しかし,死体は彼ら/彼女らの秘密については明かしてくれない.
いくつかの確信的な主張のひとつは,事件における国際テロネットワークの役割についての議論に火をつけることになる,地方治安当局責任者 Valery Andreyev による10人のアラブ人犯人が殺された,という発言からきている.

「1人のアフリカ人を含む,10人のアラブ人がいた.1人のオセチア人,ラングーシ人とチェチェン人と同じくらいのロシア人がいた」と北オセチア内務省スポークスマンのIsmel Chaov は述べた.

争いに疲弊した共和国に隣接していることや,地方当局者の発言から考えるのであれば,チェチェンとのつながりは確実なようにも見える.人質犯の身元についてはうわさが広がっているが,しかしながらけっして実証されてはいない.

過去数日のロシアを狙った一連の先例のないテロ攻撃についてコメントする中で,国防相 Sergei Ivanov は「敵が見えず,前線もないところで,戦争がわれわれに対して宣言された」と述べた.

人質犯によって解放された一人の女性は,Izvestia 紙に対して,犯人の中に Doku Umarov (ドク・ウマロフ)を確認したと話した.この悪名高きチェチェン野戦司令官は,およそ100人の死者を出したlngushetiaでの大胆な襲撃事件を先導したと言われている.

Ria-Novosti 通信社は匿名の情報として,チェチェン将軍のMagomed Evloev(マゴメト・エブロエフ)--Magas の変名で知られている--が治安部隊によって殺されたと伝えている.しかし,その証拠といえば,死体にあった金色の糸で縫われた肩章だけであった.

別の匿名の当局者による通信社への話によれば,作戦全体の首謀者はバサーエフ,一連のひどい人質事件を組織し,ロシアがもっとも捕まえたがっている男である.

「首謀者はバサーエフと想定してもいいだろう.なぜならバサーエフはほとんどのテロ攻撃の背後にいるからだ」と,事実を述べるのではなく,たいていのロシア人がいだいている疑いをそのまま繰り返して,Chaov は言った.

人質犯は立てこもり事件中に当局と電話で交渉をしたが,要求すらはっきりしていない.ある情報筋によれば,人質犯はチェチェンからのロシア部隊の撤退を望んでいるとなっているが,他の情報筋によれば,共和国の完全な独立を要求したことになっている.

「わたしは人質犯の一人に,なぜ子どもたちをこんな危険な目にあわせるのか,と尋ねた」と,生き残った一人が Kommersant 紙に語った.「彼は,自分の子どもが殺されたときには,そのことについて自分に尋ねるものは誰もいなかった,と答えた」.

確信が持てない疑いは,2002年のモスクワ劇場事件とは対照的である.あの時には,テレビがパフォーマンスの最中に急襲し,ストールに落ちて,撃たれて死んだチェチェン人女性犯を自信をもって映した.

おそらく今回は,明らかにするには,真実はあまりにも不穏なのだろう.


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