イラクで殺害の香田さん、故郷で告別式

香田さん,わたしはあなたについて報道されている以外には何も知りません.あなたの名前がニュースに出たときに,多くの人がそうしたであろうようにわたしも検索をかけてみましたが,ゼロ件でした.今ではもう1万件を超えています.
わたしはあなたのことが日本で報道されてから,圧倒的なあなたに対する非難,それは同時にイラクに対する侵略戦争を支持したわたしたちの政府の責任を隠蔽するものでしたが,それに抗うべく毎日のようにここに自分の思っていることを書きました.
あなたに対する非難は「バカだ,バカだ」といった調子のものがほとんどでした.もちろん,そうでないものもありました.
ある「ジャーナリスト」は自分や4月に拘束され,後に解放された人たちとあなたを「一緒くたにされると迷惑ではある」と書きました.多くの人もネットで「迷惑だ」と書き,わたしには具体的にどのような迷惑なのかわかりませんでしたが,この「ジャーナリスト」は,自分たちの評価を貶められるという意味で,確かに迷惑を被ったようです.
あるいは,World Peace Now はあなたが人質にとられてから,3日間連続で首相官邸前で集会を開きましたが,まだあなたの安否が確認されていない時点で,その行動を打ち切ることを決めていました.次に首相官邸前で行われた集会は,残念なことに追悼集会となってしまいました.
あなたの解放のために開かれた集会をマスメディアが完全に黙殺したために,ネットの中には「4月には抗議集会を開いたのに,なぜ今回は何もしないのか」といった誤解にもとづく内容のものもありました.しかし,「イラク戦争反対」を自分の立場にしている「ジャーナリスト」がはっきりと「迷惑だ」と書き,市民団体が途中でその行動を打ち切るなど,あなたに対して冷たかったことは否めない事実だと思います.
イラクに対する侵略戦争に反対の立場を取る人たちの間ですら,このような状態だったわけですから,そうではない立場の人についは,推して知るべしでしょう.
今回は,前回のように「自己責任論」が政府やマスメディアから声高に主張されることもありませんでした.それは「自己責任論」が支持されなくなったのではなく,反対に「勝手にイラクに入ったやつが悪い」ということは自明とされ,議論の対象にすらならなかったのです.
わたしが読んだブログの中にはあなたに対して,「小学生」だとか「子ども」といった表現を使って非難するものがありました.それがわたしにはどうしてもわかりませんでした.
「子ども」であれば,何らかのミスをした時に,たとえば親は「そんなことはしてはいけない」と怒るでしょう.子どもが無知から危ないことをしたときに,それを目にしながら放っておく親がいるでしょうか.ほとんどいないでしょう.だから,もしあなたが「子ども」であったならば,何が何でもあなたを日本に生きて連れ戻し,その後好きなだけ説教すればよかったのです.
以前に起こった日本人人質事件と比較し,「家族が立派だった」という意見もありました.わたしはそのような主張についても,思っていることを書きました.しかし,わたしにとっては家族の態度よりも,人質となったあなたには自分の行動について,他人に納得してもらえるような言葉がなにひとつなかったこと,それがより強い印象として残りました.だから,「すいません」としか言えなかったのだと思います.また,あなたは何らかの組織に属していたわけでもなかったようです.もし,そうであればイラク入りを止められていたでしょうし,その組織が解放に向けて大きな力を注いでいたでしょう.
これまでに報道された情報から判断する限りでは,あなたは立派な行動をしていたわけでもないようです.以前に人質となった人たちにはイラク入りの立派な動機があったようです.しかし,「立派でない」という理由は,非難あるいは冷たい態度をとる根拠にはならないと思うのです.もし,「立派でない」ということが他人を非難する根拠になりうるのであれば,ごく一部の人を除いて,わたしも含めてほとんどの人は非難の対象になりえます.また,「立派でない」ということを理由に,自分の周りにいる人間に対して冷淡な態度をとっているでしょうか?そういうことはないでしょう.第一,これではほとんどすべての人が,ほとんどすべての人に対して冷淡な態度をとっていることになります.「立派な」人は世の中にそれほど多くはないのですから.
あなたが自分ですら自分の行動を弁解できずに「すいません」と言い,反戦を自分の立場とするような人たちまでもがあなたに冷たい態度を取っていることを見て,わたしは書かずにはいられませんでした.
4月の拘束事件の時には多くの人たちが人質を擁護する発言を行い,帰ってきてからも自分たちの正しさを,それが受け入れられるかどうかは別として,自分たちの言葉で訴えることができました.わたしが書かなくても,当人たち自身が,そして周りの多くの人たちがいろいろなところで発言しました.4月に事件が起こった時に,わたしがあまり書いていない理由はそこにあったような気がします.しかし,今回は違いました.
自分に責任がないことなのに,自分が関わった事に関して責任があるかのように周りから責め立てられ,それに対する弁解もうまくできずに泣いている子どものように,わたしにはあなたが見えたのかもしれません.あなたが泣いている「子ども」であったとすれば,事の一部始終を見ていた「大人」のわたしには,責めている周りの人に対して起こったことを説明する責任があるのではないのか.それがわたしにここまで書かせている理由のような気もします.また,わたし自身立派な人間ではありません.いつ,自分が泣いている「子ども」の立場になるかわかりません.ですから,泣いている子どもを前に「迷惑だ」と言って逃げることも,「わたしは立派,あなたは立派でない.だから一緒にされたら迷惑だ」と言うこともできませんでした.
立派な行動をしていたわけでもない,味方もほとんどいない,このような悲惨な,最悪の状況でこそ抗う言葉を発しないのであれば,いったいわたしは何のために本やネットでいろいろなことを知ろうとしてきたのでしょう.
あなたがもう見ることもないこの日本で,わたしはこれからいくらでも「泣いている子ども」に出会い,そしてそれを「迷惑だ」と言う「大人」に出会うことでしょう.わたしには,その度に事情を知っている「大人」として説明することはおそらくできません.あなたがイラクの状況についてよく知らなかったのと同じように,わたしには世の中で何が起こっているのか,知らないことばかりです.しかし,せめて泣いている子どもを前にして,「迷惑だ」と言って逃げないようにはしたいと思います.
香田さん,あなたは立派ではなかったようだし,わたしには直接に何も教えてはくれなかったけれど,あなたの事件はわたしの言葉を鍛えてくれました.そして,立派でない人に対しては人はどのような態度を取るのか,それをあぶり出してくれました.
最後に,わたしにこれを書かせたのはDoXさんの絵であることを付け加えて,終わりにしたいと思います.


おやすみなさい,香田さん.