共産党のビラ配り、住居侵入の疑いで逮捕 東京・葛飾

共産党のサイトによれば,ビラを配っていた人を拘束した人物は警察用語を使って警察に連絡してしたとのこと.次の日には,自衛隊派兵反対のビラ撒きの無罪判決に対して検察が控訴している
北朝鮮のようになりつつあるなぁ,というのが素朴な感想.こう書けば「北朝鮮とは違う」という声が聞こえてきそうだ.一般論として,同じか違うかは観点をはっきりさせておかないと議論はすれ違いに終わる.
たとえばわたしとあなたは日本語が読めるという点では同じだが,住んでいる場所が違うという点では違う.わたしとあなたはネットにアクセスできる環境にいるという点では同じだが,タバコを吸いながらネットをしているという点では違う(かもしれない).漠然と「同じ」,いや「違う」と主張しあっても意味がない.
特定の家に生まれた者が世襲制によって特権的な地位についている,という点から見れば,北朝鮮と日本は同じである.お店に行けばいろいろな企業の商品が山のように並んでいるという点では,日本と北朝鮮とは違う.大きな違いはここにある.
テレビをつければ(といってもわたしの家にはテレビがないが),いろいろなチャンネルがある.戦争プロパガンダ局1にしようか,2にしようか,わたしたちは自由に選択できる.デパートに行けばいろいろな企業が作った人工保存料を含んだ食べ物がならんでいて,自分で好きなものを選ぶことができる.CDショップに行けば,再生することのできるハードウエアの存在しないソフトも含めて,いろいろなCDがたくさん並んでいる.投票所に行けば,戦争党1にしようか2にしようか,自由に選べる(今のところ日本にはまだ反戦党もあるので,米国よりはマシか).新聞を読みたければマンションに勝手に入って勧誘してくる戦争プロパガンダ紙1にしようか2にしようか,自由に選べる.
どこのファーストフードにしようか,マンションの集合ポストに毎日のように入っているチラシのなかから選ぶことができる.どこのお寿司屋さんにしようか,集合ポストに入っていたチラシから選ぶことができる.どこの引越し屋さんにしようか,集合ポストに入っていたチラシから選ぼう.セックスサービスですら,集合ポストに入っているチラシから選ぶことができる.
そう,わたしたちには選択の自由がある.与えられたリストの中から自由に選ぶことができる.北朝鮮ではリストに並んでいるものは少ないか,場合によっては1つしかなくて,選びようがないのかもしれない.しかし,選択肢を新しく作ることはほとんど許されていないのだろう.そして日本でも,選択肢を新たに作ることはもう許されなくなりつつあるのかもしれない.
ポストに入れることができるのはピザ屋1から4に加えてピザ屋5のチラシであり,マンションに勝手に入ってくることができるのは戦争プロパガンダ紙1から3に加えて戦争プロパガンダ紙4を手にした人間であって,反戦紙あるいはそれをを配布する人間ではない.
ポストの中,そしてマンションの敷地内というありふれた日常の中にわたしたちの自由がこんなにもはっきりと映し出されている.それは与えられたリストの中からどれかを選ぶという選択の自由であって,選択肢を新たに付け加える自由ではない.