都教委、「つくる会」教科書を採択
わたしはこの教科書がいいとは思わないけれど,たとえ日本中のすべての学校で使われたとしても,大したことはないと思う.「つくる会」の人たちが理想とするような,「自虐史観」から自由な,「日本人としての誇り」を持った人が,この教科書の採択率と比例するかたちで増えることはないだろう.なぜなら,学校で使われる教科書がわたしたちのものの見かたや考え方に与える影響はとても小さいからだ.
教科書によって「自虐史観」に「洗脳」されてしまっていたのであれば,これほど「つくる会」の教科書を支持する人がいるはずがない.つまり,このような教科書を支持するということは自分が勉強していた時の「自虐史観」教科書に書かれていたことには,ほとんど影響を受けていないことを示している(そもそも授業で現代史まで取り扱うことはほとんどないだろう).
「いや,勉強していた時には「自虐史観」に影響されて南京大虐殺を信じていたが,その後,自由になったのだ」と言うかもしれない.しかし,本を数冊読んだ程度で自由になったということそれ自体が,まさに大した影響を受けていなかったことの証拠だろう.
広田照幸は「教育不信と教育依存の時代」(isbn:4314009802)の中で次のように述べている.
「今の教育はダメだ」というヤツほど,「こういう教育が必要だ」と熱っぽく語っていたりする.現実の教育を厳しく批判する者にかぎって,教育の可能性や効果について,絶大な信頼を置いているのである.
この「教育」を,より狭く「教科書」に置き換えれば今の状況によく当てはまる.
この教科書がどれほど多くの学校で使われようと,大した変化は起きないだろう.だからどうでもよいと思っているわけではない.逆である.
教科書を取り替えたところで大した変化は起きないのだから,「今度はあれ,次はこれ」というかたちでいろいろなことが学校に導入されていく可能性がある.いくらやったところで,彼らが望む効果がはっきりと現れないのだから,次々とエスカレートさせていかざるをえない.
教科書の取替えはほとんど何の効果ももたらさない.そして,それゆえに気をつけなければならないのだと思う.