The Hiroshima Cover-Up

ヒロシマもみ消し
Amy Goodman and David Goodman
8月5日


軍による検閲によって差し止められてから60年,決して日の目を見ることがないようにと米政府が願っていたひとつの記事がついに公表された.核が落とされた後の長崎の状態に関するジョージ・ウェラー記者自身の直接の取材による原稿の発見は,前世紀における原爆投下の影響のもみ消しというジャーナリズムの裏切りのひとつに光を当てた.

1945年8月6日に米国はヒロシマ原子爆弾を落とし,その3日後にはナガサキに落とした.ダグラス・マッカーサーはすぐに南日本を立ち入り禁止とし,ニュースメディアを追い出した.原子爆弾によって20万人以上がヒロシマナガサキで死んだが,西側ジャーナリストの誰一人として,直後の状態を目撃した者はおらず,様子が語られることもなかった.そのかわりに,世界中のメディアは日本の降伏を報道するために戦艦ミズーリ号に詰め掛けていた.

原爆投下から1ヵ月後,2人の記者がマッカーサーを無視して,自ら取材に出かけた.シカゴ・デイリー・ニュースのウェラー記者は手漕ぎの舟に乗り,そして電車で廃墟と化したナガサキに到着した.フリーのジャーナリストである Wilfred Burchett 氏は30時間電車に乗り,歩いて黒こげの残骸と化したヒロシマに入った.

2人が見たものは悪夢の世界であった.Burchett 氏は自分の Hermes Baby(タイプライターの名前--訳注)のタイプライターを持って,瓦礫の山に座った.彼の発信はこう始まっている.「最初の原子爆弾が町を破壊し,世界に衝撃を与えてから30日後のヒロシマでは,原子疫病(Atomic Plague)としか呼びようのない未知の何かによる大惨劇から生き延びた人たちが,今なお不思議なことに,そして恐ろしいことに死んでいく.」

そして,この日までに何回も使った単語で原稿を続けた.「ヒロシマは爆撃を受けた都市のようには見えない.それはまるで怪物のような蒸気ローラー(steamroller)が通過し,そして生き物すべてを押しつぶしたかのようだ.わたしはできるだけ冷静にこうした事実を書いている.世界に向けた警告になってくれればという希望を持って.」

「原子疫病」と題された Burchett 氏の原稿は,1945年9月5日にロンドン・デイリー・プレスで公表された.ストーリーは世界的規模でセンセーションを引き起こし,米軍にとっては広報活動上の大失敗であった.原子爆弾投下に関する米国の公式の見解は犠牲者数を低く見積もり,そして放射能の致命的な消えることのない影響に関する報告については,「日本のプロパガンダ」として断固として退けた.

ピューリツァー賞を受賞した記者であるジョージ・ウェラー記者の,ナガサキで直面した恐怖についての記事は軍の検閲官に送られ,マッカーサーは記事をボツにするように命令し,原稿は戻ってこなかった.のちに,ウェラーはマッカーサーの検閲について自らの経験をこう要約した.「彼らが勝った」

最近になって,ウェラー氏の息子であるアンソニーが,自分の父親の残した(ウェラー本人は2002年に死んだ)原稿の中から公表を差し止められた発信のコピーを発見した.米国の出版社は興味を示さなかったので,アンソニーは原稿を日本の大手新聞社である毎日新聞に売った.原爆投下から60周年の今年,ついにウェラーの記事を読めるようになったのだ.

原爆が投下されてから1ヵ月後,ウェラー氏は次のように書いている.「三菱の兵器工場の骨組みが曲がったりぺしゃんこになっている様子は,鉄や石に対しての原爆の威力がどのようなものだったかを示している.だが,長崎郊外の2つの病院では,炸裂した原子が人間の肉体や骨に対してどのような力を持っているかは,明らかにならないままだった.」「原爆がもたらす特異な「疾病」は,医師による診断が下されないため,処方も治療もされず,ここ長崎で多くの人々の命を奪っている.」

ウェラー氏の記事をボツにした後,米当局は Burchett 氏の記事に反撃を試みた.マッカーサーは Burchett 氏を日本から追い出すよう命令し(命令はのちに撤回された),そして不思議なことに,彼が東京の病院にいる間に彼のカメラは消え,米政府高官は彼が日本のプロパガンダに影響されていると非難した.

次に米軍は秘密のプロパガンダ兵器を使い始めた.米軍はタイムズにいる米軍の職員による作戦を始めた.それは,ニューヨーク・タイムズの科学記者であり,戦争省(War Department,陸軍省)の職員でもあったウイリアム・L・ローレンスであった.

4ヶ月間にわたってローレンス氏はタイムズ紙に原稿を書く一方で,原子爆弾計画を説明する米軍のプレス・リリースをも書いていた.同時に彼は,トルーマン大統領と戦争長官( Secretary of War,陸軍長官)ヘンリー・スティムソンの声明も書いていた.これによって彼はナガサキに原爆を落とした飛行機に座席を与えられるという報酬を受けた.彼はその経験を,宗教的畏怖をもったものだとタイムズ紙に書いた.

Burchett 氏のショッキングな発信の公表から3日後,ローレンス氏は放射能による病気が人間を殺しているという考えに異論を唱える原稿をタイムズ紙の一面に書いた.「日本人は今なお,われわれが戦争に不公平なやり方で勝ったという印象を作り出そうという目的でプロパガンダを続けている.こうして自分たちへの同情と良好な関係を作り出そうとしている.そして,ウソのように聞こえる「症状」について述べた.」

ローレンス氏は原爆に関する記事でピューリツァー賞を受賞し,彼の政府に忠実なオウム返しは原爆の致命的な,消えることのない影響についての半世紀にもおよぶ沈黙のスタートにおいて決定的であった.今こそ,ピューリツァー賞委員会がヒロシマの弁明者と彼の新聞からこのふさわしくない受賞を剥奪すべき時である.

60年後,ウェラー氏の検閲された記事は原爆の非人道性のみならず,世界を欺くために政府に埋め込まれるジャーナリストの危険性に対する灼熱の告発としての地位にある.


この件に関する毎日新聞の報道は「長崎原爆:米記者のルポ原稿、60年ぶり発見 検閲で没収」.訳の中のウェラー氏の原稿の引用部分は毎日新聞による訳をそのまま使った.なお,原文は Common Dreams でも読める.また,ウェラー記者の原稿(日本語訳)は毎日新聞のサイトからは削除されているが,阿修羅にはある(「その1」「その2」「その3」.どういうわけか「その4」がない).