竹中平蔵氏が語る郵政解散の舞台裏

「既得権」という言葉にはウンザリさせられるが,そのことについてはすでに書いたので繰り返さない.わたしが最近気になるのは「誰々が支持してくれたから」とか「利害が関係しているから」云々という言い方(批判)である.
素朴な疑問だけれど,自分たちの要望や利益--正確に言えば利益になると思っていること--を実現しようとする政治家に投票したり,支援すること,そして支援を受けて当選した政治家がその利益実現のために働くのは当たり前のことで,どこにおかしな点があるのだろう.
たとえば,農業をやっている人が農産物自由化に反対する政治家を支持し,農民から支持を受けた政治家はそのために働く.あるいは北朝鮮に対する経済制裁を支持する人たちは,それを主張する政治家を支援する.その時に「制裁支持派の支援を受けているからそんなこと言うんだろ」という批判に説得力があるだろうか?ところが,どういうわけか,この「郵政民営化」に関してはそうした批判がまかり通っている.
もちろん,官庁や企業,さらには労働組合の「ぐるみ選挙」がいいとは言わないけれど,誰の利害とも関わらない政治家は,誰にとっても有用ではないわけで,そうした政治家を一体誰が支援するのだろう?
もちろん竹中大臣が属する自民党も例外ではない.というよりも典型例であって,企業や各種の団体からカネをもらい,秘書として人を派遣してもらったり,選挙の時には動員をかけてもらい,そうした「人」たちの利益を実現するために仕事をしている.竹中大臣自民党の議員らしく企業からの支援を受けているし,また自民党は国内にとどまらず外国からも支援を受けていた.
すべての利害を超越した「政治家」というのは,誰の利益をも実現しようとしないがゆえに誰からも支援されず,したがって議員にはなれない.
これは何も国会議員に限ったことではなく,わたしたちは代表を選ぶ時にはいつでも,自分たちの利益になるような人を選んでいる.そして選ばれた代表はその利益を実現するために働き,もし裏切れば支持を得られなくなる.自分の不利益になるような人をわざわざ選ぶような人はいないし,選ばれた代表がそのために働くことに,なんらおかしなことはない.逆に言えば「あなた方のために働きます」と言って,そうでないことをすれば,それは「公約違反」だ.
こうした「利害がからんでいる」という批判が受け入れられる背景にあるのは,なにか個々の構成員の利害を超越した「日本全体の利益」なるものが存在する,という考え方だろう.この問題はやっかいなのでまたいつか書くことにして,今ひとつだけ言えることは,かつての社会主義国ではそのようなことが言われていたということ.つまり,そこでは「階級対立が消滅した」という理由で,たとえば「ひとつのソ連の利益」なるものが語られていた.ところが実際には,一般市民と政治家など一般市民以外の人たちとの利害の対立があり,崩壊してしまった.つまり,個々の構成員の利害を超越した「国全体の利益」という考え方は,崩壊してしまったかつての社会主義国の指導者の考え方とよく似ているのだ.