はてなブックマーク:禁煙ファシズム発動

元のエントリーよりも,このコメント欄を読んでいたら,腹が立つやら絶望的な気分になるやらで,タバコを数本吸ってしまった.
受動喫煙」だとか「周りの迷惑」云々と言っている人は,生きてる時代や場所が違っていたら,ハンセン病患者やユダヤ人に向かって「周りの迷惑を考えて生きているのか」と言っていそうだ.ハンセン病患者隔離もユダヤ人排斥も当時の「科学」を根拠にしていたのだから.
タバコについてはこれまでも書いてきたし,最近出版された「禁煙ファシズムと戦う」(isbn:4584120994)には触れられていない点も数多くあるので,これからも書くつもりだが,今日はひとつだけ.
反喫煙論者は喫煙者の「タバコ正当化」に対して,「自分の父親はタバコを吸ってたけど長生きした等の個人的エピソードを持ち出して」云々という批判をすることがある.こうした批判とこのエントリーが受け入れられることをあわせて考えれば,個人的エピソードを根拠にした反喫煙の主張は許される一方で,喫煙正当化は許されないという非対称が喫煙をめぐる議論には存在することがわかる.このような非対称が許される理由はいったい何だ?教えて欲しい.
なお,念のために言っておけば,わたし自身はこれまでにただの一度もそうした個人的エピソードを根拠に正当化していない.

 国の連結資産840兆円「大きな政府」鮮明に

同年度の名目国内総生産(GDP)501・6兆円の約1・7倍に相当し、日本の「大きな政府」ぶりが鮮明になった。

よくわからない.「GDPの1・7倍だから大きな政府」?
2003年末の日本全体の資産は約8144兆円である.この記事によれば,このうち840兆円分,約1割を政府が保有しているということである.この割合がどれくらいになったら,「小さな政府」になったと言えるのだろう?もっとも,その時には別の尺度を持ち出して「まだ政府は大きい」と言うのだろうけど.
たとえば,2005年度の「経済財政白書」では,「歳出規模で見ると小さいが,規制面で見るとまだ大きい」という主張をしている(それでもOECD諸国の平均を下回っている).
尺度を次々と変えていけば,結論はどうにでもなる.


追加:財務省が公表したこのデータをもとに「政府が大きい」と主張しているのは読売新聞だけである.各紙の見出しを並べてみると,「国の債務超過245兆円」(朝日)「245兆円債務超過」(毎日)「245兆円の債務超過」(日経)となっており,記事の中身も債務超過を問題としている.