はてなブックマーク:禁煙ファシズム発動

元のエントリーよりも,このコメント欄を読んでいたら,腹が立つやら絶望的な気分になるやらで,タバコを数本吸ってしまった.
受動喫煙」だとか「周りの迷惑」云々と言っている人は,生きてる時代や場所が違っていたら,ハンセン病患者やユダヤ人に向かって「周りの迷惑を考えて生きているのか」と言っていそうだ.ハンセン病患者隔離もユダヤ人排斥も当時の「科学」を根拠にしていたのだから.
タバコについてはこれまでも書いてきたし,最近出版された「禁煙ファシズムと戦う」(isbn:4584120994)には触れられていない点も数多くあるので,これからも書くつもりだが,今日はひとつだけ.
反喫煙論者は喫煙者の「タバコ正当化」に対して,「自分の父親はタバコを吸ってたけど長生きした等の個人的エピソードを持ち出して」云々という批判をすることがある.こうした批判とこのエントリーが受け入れられることをあわせて考えれば,個人的エピソードを根拠にした反喫煙の主張は許される一方で,喫煙正当化は許されないという非対称が喫煙をめぐる議論には存在することがわかる.このような非対称が許される理由はいったい何だ?教えて欲しい.
なお,念のために言っておけば,わたし自身はこれまでにただの一度もそうした個人的エピソードを根拠に正当化していない.