Humanitarian 'stain'


人道的「汚点」


Justin McCurry in Tokyo
2005年1月26日水曜日


Michael Howard(英保守党党首--訳注)が,亡命者に関する彼の強硬路線に対する国際的支持を引き出そうと決意するのであれば,日本政府に近づくのも彼にとっては悪くないかもしれない.

Howard が破棄を望んでいる1951年の国連難民条約への署名国である日本は,2004年に7640万ドルを UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に納めている.これは米国に次ぐ額である.

しかし,Ahmet Kazankiran と彼の家族のような亡命者が日本に到着したとき,この寛大さは消え去ってしまう.
48歳になる Kazankiran と彼の妻,5人の子どもはほぼ10年にわかって日本への亡命を希望している.クルド人として彼らは母国であるトルコでの迫害や拷問を恐れていた.トルコで Kazankiran 氏はクルド人権利運動に加わっていた.

家族は3回にわたって亡命を拒否され,そして強制送還の対象となったが,1ヶ月に一度入管事務所に出頭する限り,日本における「仮放免」が保障されていた.

それは不完全な取り決めではあったが,しかし少なくとも Kazankiran 一家に,第三国での安全な場所を捜し求めるための時間を与えるものではあった.先週,この課題はよりやっかいなものとなった.

Kazankiran と彼の最年長の20歳になる息子 Ramazan は1月17日に東京の入管事務所に出頭した数時間後,収容された.翌日,2人は弁護士や他の家族と話す機会も与えられないまま,トルコへの飛行機につめこまれた.

状況が違っていれば,彼らに対する処遇は,親しい友人と支援者を除いて,まったく気づかれることもなかったかもしれない.

しかし,強制送還と日本に残された家族の苦境は日本政府を困らせることとなった.ちょうど国連の安保理常任理事国になろうと支持を取り付けようとしていた時に,国連から非難されることになったのだ.

東京の UNHCR は,事態の推移に「深く憂慮する」と述べた.「強制送還は国際法のもとでの日本政府に課された義務に反すると UNHCR は考える.強制送還は前例がなく,海外にいる難民や災害被災者に対する日本の人道援助とは相容れない」.

家族の代理人をつとめる弁護士の大橋毅は「法務省は国連を侮辱し,強制送還は国際社会における日本の地位に汚点を残した」と述べた.

彼らともうひとつのクルド人家族が昨年夏,2ヶ月間にわたって東京にある国連大学の前で泊り込みで続けた抗議を行った際には,市民や野党国会議員から支援を受けた.

10月までに,UNHCR は彼らを難民として認定した.一方,支援者は難民として認定することを支持する6万3千人の署名を集めた.

今週はじめにKazankiranの妻と4人の子どもが,入管に出頭することになっていた.彼女たちは彼と同じような処遇を受けることはなく,1ヶ月の猶予を保障された.

東京入管のオカベショウイチロウは,ガーディアン紙に対して,Kazankiran と彼の息子は,「法に従って」トルコに送られたと語った.

彼ら以外の家族の滞在許可は,「彼らのおかれた特殊な状況を考慮し,人道的な理由」によって決定されたとオカベは述べた.彼は,家族が生活できるほかの国を見つける見通しについては話すことは拒否した.

「わたしの家族は日本で再会した2年前まで,15年間にわたってバラバラでした」と21歳になる長女 Zaliha は言った.「しかし,ふたたびバラバラにさせられました.いつになったら一緒に生活できるようになるのでしょう?」

UNHCR の Nathalie Karsenty は「第三国をみつけるための時間が与えられたことをうれしく思う」と述べた.しかし,「家族がバラバラになってしまっており,家族が一緒に生活できる国をみつけるための時間がもっと与えられることが望ましい」と付け加えた.

「再定住のプロセスがいかに困難であるかを当局が理解するためには,当局と密接に連絡を取り続けることが大切なのです.おそらく日本政府はこの点に関して,われわれの手助けができるでしょう」.

「問題は,クルド人難民を連れて行く国を探すことではなく,日本からやってくる彼らを受け入れる国を見つけることなのです」.

法務大臣南野知惠子が,政府は Zaliha と彼女の母親,そして3人のきょうだいをトルコ以外の国に送ることを示唆した昨日,すこしだけ協調の入り口が開いた.

もしそれが実現すれば,人権団体からたびたび非難の的となっている日本政府の移民政策にとって,重要な転換となるだろう.

日本が国連難民条約に署名した1982年から2003年までの間に,難民としての地位を求めた申請は3118件であったが,受け入れたのはわずか315件であった.これには,取り扱いが別となっているベトナム,コロンビア,ラオスからのおよそ1万人は含まれていない.

2003年,日本政府はわずか10人しか難民を受け入れず,300件以上の申請を却下した.

さらに重要なことに,日本政府はこれまでクルド人亡命者をただのひとりも受け入れていない.それは,EUの加盟候補国であるトルコとの密接な外交と関係があると評論家は言う.

こうした疑いの証拠となる出来事がある.日本におけるもうひとりの亡命者である Erdal Dogan は,彼の家族の家がトルコで現地の警察の助けを借りて,日本の入管による捜索を受けた,と語った.

他の政治的障害もある.Kazankiran が強制送還された時,小泉首相は「われわれは人権の尊重は当然だと考えている」と述べた.しかし同時に,より寛大な政策は「新たな国内問題」を引き起こすかもしれないと付け加え,「難民と容疑者の間に線を引くことは」難しいと述べ,態度をはっきりさせた.

こうしたなかで,Kazankiran 一家は不安な1ヶ月に直面している.経済的にほとんど自立できず,そして次の東京入管への出頭が最後になるのかどうか,わからない.

「何が起ころうとも,どれほどおびえさせられても,生きていくためにしなければならないことをするでしょう」と,月曜日に Zaliha は日本のレポーターに向かって母語で語った.「いちばん大切なことは,わたしたちが互いにめんどうをみることです.今まで,なんとかやってきたのです.」

入管当局を非難するプラカードを掲げた数十人を見渡し,彼女は付け加えた.「最初はわたしたちのことを知らなかったのに,手を差し伸べてくれた日本の方々に感謝したい.」

これは,自分のきょうだいや父親から無理やり引き離され,そして公式には歓迎されていない国で自分の家族の面倒をみなければならない若い女性による,責任,寛大さ,そして落ち着きのショーだった.

彼女は理想的な市民である,と言う人もいるかもしれない.しかし,これまでのところ,彼女のことを定住に値すると考える国はなかった.

この件に関する日本語のニュースは「強制送還:認定難民、トルコへ−−法務省「国連と見解異なる」」など.