医療費抑制へ新指標 厚労省「給付総額1割減」

「とりあえず減らせ」というのはかつてイギリスが試みて,悲惨な結果をまねいたためにやめたやり方である(近藤克則「「医療費抑制の時代」を超えて」isbn:4260127209).
日本の医療費は対GDP比でみると,先進国の中では低く,また医療給付をその一部として含む社会保障給付も低い.「増えたら大変だ」という主張には何の根拠もない.根拠がないからいい加減な「見通し」によって脅かすしか方法がないのだろう(崎谷博征「患者見殺し・・・」isbn:4334933408).
ただ,こうした主張が受け入れられる背景としては,「医療費は無駄に使われるカネ」という漠然とした思い込みがある.自分が買いたいものを買ったときには有効にカネを使った気がするけれど,喜んで病院にカネを払う人はいない.誰でも払いたくはないけれど,仕方なく払う.喜んで払おうが嫌々払おうが,わたしたちの財布から出たカネは(それが,たとえ政府を通過しようが)必ず(企業も含めた)誰かの所得になっている.経済全体としてみれば,どこかに消えてしまうわけではない.「嫌々払う」という感覚が,「無駄なカネ」という意識につながっているのだろうか.無駄に使おうが,有効に使おうが,わたしたちが財布から出したカネは必ず誰かの財布に入っている.公共事業をめぐる議論においても,この点を忘れてしまっているかのような主張がしばしば見られる(こうした点については,小野善康「誤解だらけの構造改革isbn:4532149576).
健康にはカネがかかる.この点だけからも健康に関して医学ができることは非常に限定されていることがわかる.あるいは,そもそもある状態が病気かどうかも医学だけで決まるものではない.それは医療保険と密接に関連している.つまり,「患者」や医師がどのように考えようが,「治療」に対して保険給付が受けられなければ,それは「病気」ではない.メガネには保険がおりない.だから,近視は「病気」としては見なされていない.最近では遺伝子に関する研究の進展とあいまって,この問題はますますややこしくなってきているようだ(広井良典「遺伝子の技術・・・」isbn:4121013069).
社会的な要因が健康を規定する要因としていかに重要かを知るためにはイチロー・カワチ「不平等が健康を損なう」(isbn:4535982376)がお薦め.
「タバコ,タバコ」騒いでる場合じゃないんだよ.