些末なことではありますが、

この場合,「コスト」と言っても「損失」と言っても違いがあるとは思えません.どちらも最小化したいものを指すわけですから.言い換えが許容されるか否かは,文脈に依存するでしょう.「人件費は企業にとっての損失である」という表現が適切でない場合もたしかにあります.しかし,たとえば,喫煙による「余分な医療費」や勤務時間中の喫煙は「社会的コスト」と言われたり「社会的損失」と言われたりしますが,それに対して「コスト」と「損失」は違うのだ,という批判に意味があるとは思えません.
わたしの言いたいことは,個別企業の損得とそこで働く労働者のそれとは,あらゆる時点でぴったり一致しているわけではない,ということです.人件費は企業にとってはなるべく小さくしたいものですが,労働者にとってはそれは収入であり,なるべく大きくしたいものです.企業は生き残りのためにリストラすることもあります.そして,労働者の休憩は企業にとっての損失となる(と反喫煙派は主張する)わけですから,つねにぴったり一致しているという主張には無理があると思います.それに,Masatoku さん自身「めぐりめぐって」という表現を使われているわけですから,それほど意見に違いがあるとは思えません.損得が「めぐりめぐって」ている間に,そこで働いている労働者の立場からすれば,霧散霧消してしまうこともあるでしょう.
「聖域扱い」という表現がきつすぎるとすれば,「喫煙と比較して「減らそうキャンペーン」がきわめて弱い」とでも言い換えましょうか.学校では真っ黒になった肺の写真を見せて,「タバコはよくない」とは教えられているのでしょうが,交通事故による悲惨な遺体の写真を見せて「車はよくない」と教えているわけではないでしょう.わたしに言わせれば,それは「聖域扱い」です.
「受け入れられる政策」というのは,政党で言えば選挙公約のようなものです.それに対してわたしは公約ではなく綱領を書いているつもりです.
たとえば,自民党は綱領では「新しい憲法の制定を」と謳っていますが,先の選挙で「憲法を変えます」とは言っていません(聞きませんでした).もっとも,選挙公約をよく読めば書いてあるわけですが,公約を読んで投票した人はほとんどゼロでしょう.もし,今回の選挙で「憲法を変えます」と小泉さんや自民党の候補者が言って回っていたとしたら,これほどの支持は得られなかったと思います.
つまり,わたしが今書いていることが,今多くの人に受け入れられないとしても,わたしとしては基本的なことをきちんと書いておきたいということです.そして,綱領なしの反・反喫煙派は選挙公約を書けないばかりか,ただの空中楼閣に終わるでしょう.政党の綱領との違いは,わたしがこれを片手にすべての「有権者」に語りかけるつもりがないというところでしょうか.
最後に,Masatoku さんとの企業と労働(者)をめぐるやり取りは「些末なこと」ではないとわたしは考えます.
反喫煙派の「タバコと肺がん(健康)」という問題設定こそが,「些末なこと」,少なくとも数ある要因のうちのひとつを,まるで唯一最大の問題であるかのように扱うことによって,健康を規定する喫煙以外の要因を覆い隠すことになっています.
2003年の35-39歳の死因は18・9人(対10万人比)ががんであるのに対して,心疾患と脳血管疾患をあわせたものが15・3人です.これが労働とまったく無関係とはいえません.また,最大は自殺の25・1人です.40-44歳について同じように見れば,がんが38・1人,心疾患と脳血管疾患が26・4人,自殺が30・4人です.
反・反喫煙派は反喫煙派の設定した「タバコと肺がん」という問題に対して,別の解答を提出するかたちで批判すべきではありません.そうではなくて,問題設定それ自体を批判すべきなのです.議論は同じ問題に対する異なった解答の提出ではなく,問題設定それ自体をめぐって行われるべきなのです.そして,あるひとつの問題設定の正当性は,いくらその問題を解いたところで,言い換えれば問題設定の内側から主張することはできません.
「体に悪いのはタバコだけじゃない」と喫煙以外の要因に触れれば,決まって返ってくる答えは「タバコが問題になっているのに,他のものを持ち出してくる」というものです.
しかし,タバコを問題にしているのは反喫煙派であって,反・反喫煙派がその問題設定に従わなければならない理由は何もありません.「問題になっている」のではなく,反喫煙派が問題にしているのです.ある事柄が空から雨が降ってくるように,自然に「問題になる」ことなどありえません.誰かが問題にし,それを誰かが広め,それを多くの人が受け入れた時に,あたかも自然に「問題になっている」かのようにわたしたちには意識されるのです.

今日の日本における反喫煙派の勝利は科学にもとづく正しい解答を出したことによってもたらされたのではなく,「タバコと肺がんの関係こそが健康問題だ」という問題設定における勝利なのです.