[NHK番組問題]「不可解な『制作現場の自由』論」

この社説もそうだが,安倍・中川両氏を擁護しようとして,なにを血迷ったのか,彼らが検閲に走った動機を熱心に説明しているブログが多数ある.「女性国際戦犯法廷はけしからん」,「偏向している」等と言えば言うほど,「あぁ,だから検閲したんだな」とわたしは納得してしまう.
ところで,「いつか来た道」等の表現がどうもわたしにはしっくりこない.それは,わたしが当時生まれておらず,経験したことがないことが一番の理由だろうが,それだけではないだろう.
それは戦前から戦中の日本が,天皇制政府による弾圧一色,言論の自由もいっさい許されない,何の楽しみもない「暗黒社会」とでも呼ぶべき状況にあったかのように書かれたものが多すぎることにも一因があるような気がする.しかし,戦後に生まれ育ち,今の政府が進めようとしている方向に危惧をもつ人たちが漠然と抱いている戦前・戦中のイメージと実際の状況とはかなりずれているのだろう.
たとえば,「言論統制(isbn:4121017595)」(佐藤卓巳)は当時「小ヒムラー」として怖れられていた軍人,鈴木庫三の実像をていねいに描き出すことで,「横暴な軍部による言論弾圧」というイメージを覆している.この本を読むと,戦前・戦中に積極的に天皇制政府に協力した知識人やマスメディアが戦後,彼を「横暴な弾圧者」に仕立て上げることによって,自らを「被害者」として描き出そうとしたことがよくわかる.
あるいは「昭和史の決定的瞬間(isbn:4480061576)」(坂野潤治)は,1936-37年(昭和11-12年)の状況を追いかけ,「反ファッショ」という言葉も検閲に引っかからず,選挙を「資本主義に対する社会主義の闘い」と位置づけた社会大衆党が躍進する中で日中戦争に突入していった過程を明らかにしている.
今,わたしは自由にブログを書くことができるし,デモに参加することもできる.反戦ビラを配れば逮捕されるかもしれないが,それに対する賛否の意見も自由に言える.多様な意見が消滅して戦争に進んでいくのではなく,それが許されている中で,弾圧や検閲に対する国民の支持と反対が存在する中で戦争に進んでいくのだろう.
ところで,「言論統制」は本文が「「中央公論社は,ただいまからでもぶっつぶしてみせる!」」という鈴木庫三の発言(とされている)から始まり,「あとがき」には「書き出しの言葉は,そのとき(編集者に了解をもらった時--引用者)すでに決まっていた.鈴木庫三伝は中央公論新社から出るべきである」と書かれている.そして奇しくも,現在の中央公論新社は今回の検閲を擁護した読売新聞のグループ企業である.