30日の「自由と生存のメーデー06」弾圧と共謀罪

「普通の市民」という言い方は「普通でない(異常な)市民」の存在を前提としている.
この世から女性が消えたら,男性だけの社会になるのではなく「男性」も消滅する.なぜなら,そこでは男女という区別が意味をなさなくなるからだ.同じように,ヤクザが消滅すれば非ヤクザとしての「普通の市民」は消滅する.オウム信者が消えたら非オウムとしての「普通の市民」は消滅する.そして,デモを組織する人や参加する人がいなくなれば,非デモとしての「普通の市民」は消滅する.
「異常な市民」としてわたしの頭に浮かぶのは,誰にマイクを向けても同じ答えしか返ってこない国の市民である.そうした国では,異議を唱える「異常な市民」は刑務所に入れられ,市民としての資格を剥奪されているのだろう.残ったのは,誰も彼もが同じ答えしか返さない異常な「普通の市民」である.
「異常な市民」を社会から追放し続ければ,その先に待っているのは「普通の市民」だけからなる社会ではない.「異常な市民」の消滅は同時に「普通の市民」の消滅であり,残されたのはマイクを向ければ同じ答えしか返さない「異常な市民」である.
純度が100パーセントになった時,ある国が「普通の市民」だけから構成されるようになった時,「普通の市民」は「異常な市民」に転化する.
共謀罪は「普通の市民」の純度を高める仕掛けである.だから,「異常な市民」として生きたい人はもちろんのこと,「普通の市民」として生活したい人にとっても,この法案は廃案にするしかない.